ピアノde幸せコンサルタントのMinna です。
30日間の無料オンラインスクール、今日は27日目になります。
あと3日、最後までよろしくお願い致します。
ピアノ演奏と心の状態は密接な関係。
さて、今回のテーマは「意識と心」ついてです。
この無料オンラインスクールの中でもたびたび話題していますが
私自身、ピアノ演奏と心の在り方はとても深い結びつきがあると思っています。
そして、オンラインスクールなどで出会う受講生の皆様のピアノ演奏も マインドの状態と比例しているといつも感じています。
あなたは自分の気持ちに正直に生きていますか?
それとも他人の気持ちを推し量るのが上手ですか?
他人というのは例え親であれ、子供であれ、先生であれ、生徒であれ、
他人の「心」はコントロールすることはできません。
他人の気持ちをコントロールしようと悩むのは
「答えがない問題の答え」
を探している状態です。
例えば「人から嫌われないためにはどうしたら良いですか?」のような質問
このような悩みの答えは「存在しない」のです。
現状本屋さんに行けば様々な人間関係に関する本があります。
しかしある人にとっては良い方法であっても、ある人にとっては逆効果になることもあります。
つまり
「他人に自分の意図を完全に分からせるのは不可能」
だからです。
他者の気持ちはコントロール出来ない!!!
ピアノに関して言うと、有名な作曲家の意図をその作曲家以外の人間が完全に理解するのは不可能だということです。(楽曲研究という分野を否定しているわけではないので、悪しからず….)
ある楽曲や作曲家に対して
「〇〇と思って演奏していた…」
「苦労に満ちた人生だった」
など、色々解釈されていることがあります。
しかしその作曲家がお亡くなりになっている場合は、もしかしたら天国から
「全然違うわ!勝手に解釈しやがって!」
とツッコミを入れているかもしれないです笑。
何が言いたいかというと、ある単語や物事に対するイメージや記憶は、人によってそれぞれ違うということです。
先ほどの例だと「苦労に満ちた人生だった」という、一般的には「大変だね」と思われるような状況でも、本人は何とも思っていない可能性もあります。
つまり「本人」ではなく、「解釈する人」のその物事に対する視点、捉え方によって変わるのです。
コンクールや発表会、特に人前で演奏するような機会がある方は
仮にあなたが100%完璧な演奏をしようと、普段の30%ぐらいの力しか出せなかったとしても、
「他人がどう解釈するかは、あなたにはどうすることもできない」
ということです。
例えば「タイタニック」という映画を見て
「恋人を失い悲劇的な映画だった」と捉える人もいれば、
「恋人亡き後も想い続ける感動的な映画だった」と捉える人もいます。
ピアノ演奏に関しても
あなたの演奏を聴いて「よかった」という人もいれば、「よくなかった」という人もいます。
「他人にどう思われるかということを気にする時間やエネルギー」
があるならば、そのエネルギーを
「自分の演奏に集中する時間やエネルギー」
に回した方が結果的に満足のいく演奏に繋がります。
ピアノは自分と向き合うためのツール☆
私はピアノも「自分と向き合う」ための1つのツールだと思っています。
そこに他人が存在している時点であなたの意識のベクトルは「自分」ではなく「他人」に向けられています。
自分に集中すればするほどあなたの意識のベクトルは「自分」に向き始めます。
時間の感覚が無くなり、身体の疲れも感じません。
心は何も想わず、ただ目の前の音楽に向き合っているだけ…
ピアノを通して「無」に出会える瞬間です。
「無」????
仏教???? 宗教????
と連想される方もいらっしゃるかもしれませんね。
実は私がメインで活動している「ヨガ」も「無」を目指しているトレーニング方法の1つです。
そういう意味では、仏教も同じかな?という気もします。
だいぶ前ですがMinna先生が、ふと言っていたのですが、Minna先生は「ピアノ道」を目指しているのだそうです。
人と比べないピアノの道、ピアノの世界。そしてそれはただピアノと向き合うだけの大切な時間。
ヨガを教えている私にはこの言葉の意味がとてもよくわかります。
ピアノにむかう方の意識や心は人それぞれだと思いますが、ピアノを介して自分と向き合ってみるというのも面白いかもしれません。
今日も応援しています。
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今日の動画
動画⑭ 脱力を止めているのは自分